あおもり今・昔134−自然よもやま話−

青森の埋没樹

 埋没樹は、上北郡の道路工事現場、むつ市の海岸をはじめ県内各地で発見されている。青森市内でも横内川多目的遊水地、野沢小学校付近をはじめ数件の報告がある。
 これらの埋没樹ができた原因は、海水面の上昇によって海岸近くの樹木が埋没したもの、火砕流により埋没したものなど多様である。
 横内川多目的遊水地の埋没樹は水田の下を掘り下げる遊水地造成工事によって発見され、年代も縄文時代(約4,500年前)、約15,000年前、約25,000年前の三種類が確認されている。このうち、約15,000年前と約25,000年前の埋没樹は火砕流の中に含まれている。火砕流は、地表の樹木をなぎ倒しながら流出したため、埋没樹が含まれることが多く、噴出源は現在の十和田湖である。
野沢小学校付近で発見された埋没樹
▲野沢小学校付近で発見された埋没樹
 十和田湖は十和田カルデラの火口原に水がたまってできた湖であり、かつて十和田湖付近は大きな火山であった。十和田カルデラの火砕流の中では約15,000年前の八戸火砕流と約25,000年前の大不動火砕流が顕著である。これらの火砕流は青森平野南部の戸山〜幸畑〜高田にかけて平野と山地の境界部分に分布しており、平野の地下にも流れ込んでいる。また、断片的に荒川や駒込川の河谷にもへばりついている。
 野沢小学校付近の埋没樹は約32,000年前のものであり、十和田カルデラから噴出した火砕流中に含まれる。過去数万年の間に大規模な活動をした火山は、十和田湖・洞爺湖・支笏湖など全国に多く知られている。
 これに対し、縄文時代の埋没樹は、当時の気候が温暖で、海水面が数メートル上昇していたため、平野部に広がっていた湿地に生育していた樹木が周囲の山々から運ばれた土砂によって埋積されたものである。縄文時代の埋没樹は青森平野の周辺部には表土の下1〜2メートルに分布し、平野の中心部では表土の下の泥炭層の下位に広く分布しているので、地盤を掘り下げるといたる所で発見されることになるものと考えられる。
【自然部会執筆編集員 工藤一彌】

※『広報あおもり』2005年1月1日号に掲載


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