あおもり今・昔124

延文二年銘の碑(市指定有形文化財)

 この碑は、市の東部に位置する宮田地区の念心寺共同墓地にある板碑(いたび)である。延文2年(1357年)の造立で、市内で最も古い紀年銘の石造物である。この板碑は板石塔婆(ばんせきとうば)とも呼ばれ、故人の追善供養のために、また、生前にあらかじめ死後の冥福を祈っておく逆修(ぎゃくしゅ)供養のために造立された。
 鎌倉から室町期にかけて盛んに造立され、県内でも約290基が確認されている。
延文二年銘の碑(宮田地区 念心寺)
▲延文二年銘の碑(宮田地区 念心寺)
 この宮田の板碑が記録として最初に見えるのは、菅江真澄の紀行文「すみかの山」である。
 寛政8年(1796年)4月20日、この地を訪れた真澄は、2本の古い銀杏の木(市指定天然記念物)とともに板碑についても触れ、500年程昔からの石塔婆がたくさん転がっていること、小川に渡し橋として使われているものや埋もれたりしているものがあったことなどを記している。
 また、その数年後の享和2年(1802年)、弘前藩が藩内の古碑・古鐘などの調査を行っている。その報告の中に横内組宮田村浄念庵(現在の念心寺と思われる)の古碑として「正応四年(1291年)三月銘の碑」と「延文二年銘の碑」の2基をあげている。
 数多くあったと記録している真澄と、数年後には2基と報告している藩の調査結果とでは大きな違いが見られるが、藩の調査は、碑面の文字を読み取れるものだけにしたからであろう。
 現存している「延文二年銘の碑」には、
1 紀年銘・・・造立した年月/延文二季(年)南呂(八月)
2 種子(しゅじ)・・・阿弥陀三尊をあらわす梵字(ぼんじ)/下の図
種子
3 偈頌(げじゅ)・・・仏の教えを説く言葉/源信僧都の「往生要集」の一節で「極重悪人无他方便 唯称念仏 得生極楽」(極重悪人には他に方便なし。唯念仏を称えれば、極楽に生じることを得ん)
が刻まれている。
【市史編さん室事務長 鳴海秀】

※『広報あおもり』2004年3月1日号に掲載


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