あおもり今・昔122

石江神明宮大絵馬 伊勢の二見浦を描く

 明治8年(1875年)に石神村は江渡村と合併し、それぞれの一字をとって石江村と改称した。その旧石神地区で産土(うぶすな)さまとして信仰されてきたのが石江神明宮である。
 祭神は天照皇大神(三重県伊勢神宮)で、「石江史実」(佐藤光次編集)では「明治三十二年五月十六日に創建した」と記しているが、今回の調査で明治21年奉納の大絵馬が見つかった。そのため、明治21年以前に石江神明宮が鎮座していたことをうかがうことができる。
 現在、調査で後潟神社・石江稲荷神社・六枚橋熊野宮・戸山斧懸神社・岩渡神明宮の各神社の絵馬に目を通しているが、石江神明宮の絵馬が最大であった。
石江神明宮の大絵馬
▲石江神明宮の大絵馬
 横長の二見浦図角型板絵彩色絵馬で、外寸横188.5センチメートル(内寸横170.5センチメートル)、外寸縦84.5センチメートル(内寸縦66.5センチメートル)もある。大絵馬の「奉納」と記された向かって左下には「明治二十一年太陰暦正月元日 東津軽郡石江村 願主川村岩吉」と奉納者の墨書きがある。伊勢国二見浦の一場面で、向かって右下に和服の旅姿の男が笠に羽織を置いて、夫婦岩に向かって拝んでいる場面である。夫婦岩には注連縄(しめなわ)が張られ、五垂(ごた)れが下げられ、左側に初日の出とその太陽光までも描写されている。白い波しぶきも描かれ、その海上から夫婦岩をデフォルメ(強調)して描き出しているのが特徴である。二見浦はかつて伊勢神宮の神領で、神宮参拝の禊場(みそぎば)とされた。海上に浮かぶ大小ふたつの夫婦岩は二見浦のシンボル的存在で、拝めば家内安全・夫婦和合などに御利益があるとして親しまれている。
 地元の絵に心得のある者が描いたやや稚拙な図柄ではあるが、天照皇大神を崇拝する神明(伊勢)信仰の熱い祈りが伝わってくる。
【図録文化財PT調査協力員 滝尻善英】

※『広報あおもり』2004年1月1日号に掲載


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