あおもり今・昔113

碑文からみる青森市の歴史(1)−皇室編

 市内のさまざまな所に石碑が存在する。石碑は、特定の目的をもって関係者により建立されたものである。しかし、時の経過とともにその目的や意義は忘れ去られ、雑草・潅木に埋もれ、建築資材などに遮られ、幾度となく移転を余儀なくされ、交通障害として邪魔もの扱いされたりする。石碑に出会っても、石碑の建立目的や内容に関心を持つ人は多くはないであろう。だが、石碑は地域の歴史を語る基礎資料でもあり、石碑を知ることで地域の歴史を認識することもできる。
 今回から、市内にある石碑のいくつかを取り上げ、石碑とそれを取り巻く歴史について紹介しよう。
諏訪沢にある大正天皇に関する碑文
▲諏訪沢にある大正天皇に関する碑文
 明治・大正・昭和の三代の天皇に関するものが存在するが、明治天皇に関するものは、明治9年と14年の2度にわたる東北巡幸に関するものが大部分であり、「明治天皇御休所御跡」(碑文が異なる場合もある)石碑が、1ワンダーランド浅虫横2浅虫善知鳥崎3野内浦島4野内柿崎氏邸内5石江会館前6白幡野7鶴ヶ坂に建立されている。この巡幸の時、青森港から北海道に向かうが、これを記念するものが聖徳公園と同園内にある「明治天皇御渡海記念塔」と石碑「明治天皇青森御乗船並御上陸桟橋址」などである。明治9年の巡幸時には、青森小学校(現長島小学校)を視察するが、その記念碑が「明治天皇臨御記念碑」である。また、幸畑の陸軍墓地には明治天皇の歌碑も存在する。
 大正天皇に関する碑文として確認できるものは、大正14年5月に建立された「銀婚式記念碑」(諏訪沢入口)のみである。
 昭和天皇関係では2種類存在する。一つは、大正末から昭和始めにかけて建立された天皇の御成婚を記念する「御大典記念」碑(高田熊野宮境内と後潟神社境内などで確認される)、もう一つは天皇の在位60年を記念する「奉祝天皇陛下在位六十年記念碑」(高田熊野宮境内)である。
【近・現代部会部会長 末永洋一】

※『広報あおもり』2003年4月1日号に掲載


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