正月には各家を訪れる獅子舞や万歳などのいろいろな門付(芸人が来た。この中で青森市ならではのものが、「セキジロ」であった。セキジロは万歳などと同様、正月に市内の各家をまわり、祝詞を述べて金品をもらって歩いた。このセキジロの話をさまざまな人から聞いても、親子と思われる母と娘の二人連れという以外に具体的な様子ははっきりとはしなかった。しかし、「青森県画譜 第四集」(東奥日報社・一九三四)には、銅版画家 今純三が昭和9年(1934年)に描いたもの(右下)が掲載されており、その姿形を精密に描いているだけでなく、唱え文句も付してあって、セキジロの様子をよく知ることができる。唱え文句は二人の掛け合いであるが、次のように記されている。
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▲「青森県画譜 第四集」(東奥日報社1934)より |
とうねんは どしとりのおいわいでさんさらば せきじろ
じろりや じろとも まいれば まいねん とうねん かどねは
かどまつ うぢには ほうらい さんごの しめなは としなは
かざりて けふでは きんてい こうてい さまには じうにの
ないしを あづばり たまいて にしぎの ふぐめん あやのま(以下省略)
セキジロはおそらく「節季候」(セキゾロ)であろう。節季候は、室町時代に節季ごとに家々をまわった「胸敲(むねたたき)」という門付芸人から発しているという。青森のセキジロも笠をかぶり、赤い布で顔を覆っているところは、古い形態を残しているといえる。今のところ、セキジロについては、県内で青森市以外に確認していないが、都市部の民俗を考える上で貴重な存在と考えている。
【民俗部会調査協力員 成田敏】
※『広報あおもり』2003年3月1日号に掲載
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