酸ヶ湯温泉は、八甲田の主峰大岳のふもとにある。この温泉は薬効が高く、藩政時代から「鹿の湯」や「酢ヶ湯」とも呼ばれ親しまれてきた。 今は青森駅から横内・雲谷を経由する定期バスで難なく行けるが、大正の中頃まで多くの湯治客は、青森から荒川・金浜を通り、七里(約28キロメートル)の長い山道を主に歩いて往復していたのである。 明治から大正の頃まで、荒川には湯治客が泊まれる旅館が三軒あり、村の中心地の十文字交差点付近に、やまじゅう旅館(山田重吉)、まるまん旅館(白鳥恭三)、まるい旅館(成田亥作)が集まっていた。湯治客は旅館に一泊し、身支度を整え、翌朝早く酸ヶ湯を目指し出発したのである。
また、荒川の桜田という人が、客馬車で青森(柳町柿崎そば屋前)と荒川の旅館の間を結んでいた。時々、金属製のラッパを「ピーポ、ピーポ」と吹くので、「トテ馬車」の愛称があった。 このように、大正の頃まで、荒川は酸ヶ湯への中継地となっていた。 その後、大正9年(1920年)に、横内から酸ヶ湯への道が完成し、昭和4年(1929年)頃には伊香善吉が青森−酸ヶ湯間に私営バスを運行、昭和9年(1934年)には青森−十和田湖間に県道が完成し、同年省営バス(現JRバス)が青森駅と十和田湖間に定期バスを運行した。湯治客も市内から往復するようになってきたのである。昭和32年(1957年)には、青森市営バスも青森−酸ヶ湯間に定期バスの運行を開始している。 【民俗部会調査協力員 相馬美通】 ※『広報あおもり』2003年2月1日号に掲載 |