あおもり今・昔109

子ども仲間(市史編さん民俗調査から)

 民俗社会(一般に「ムラ」などと呼ばれる)での諸集団は、家の系譜(同族)や血縁による集団、近隣・地縁による集団、年齢・世代による集団とに、おおまかに分類できる。例えば、「ムラ」内のある人は、○○家の分家の長男であり、10軒ずつまとまった班の連絡係であり、青年団の会合にも出席しなければならない。
 また、「ムラ」全体の中で明確に組織化され、一定の役割を期待される集団とは異なり、気のあった者同士が任意に集まり、つきあいをする集団も見られる。友人関係がそうであるが、ここでは昭和の初めころの「ムラ」の子どもたちの仲間づきあいを紹介する。
 横内の合子沢では、子どもは道路や屋敷地、小学校が主な遊び場で、冬場は田んぼで凧を揚げたり、浄水場の傾斜で着物の裾が凍みるまでスキーをして遊んだ。合子沢内の子ども同士がいつも遊び仲間で、その場その場でリーダーになる子が決まったという。やはり小学校高学年がリーダーになった。
 広場はなかったが、どこでも遊んだようで、夏に水浴びして寒くなると、苗代に入って泥につかり温まったりもした。ただ、見つかると大人に叱られるので、昼食で大人が家に入るのを見計らって行なった。同じ横内でも牛館・新町野の子どもとはあまり一緒に遊ばず、けんかになったこともあったという。
 久栗坂では、浜でよく遊んだ。廃材やムシロで囲いを作り風よけにして、よく泳いだ。仲間は久栗坂内のカミ、ナカ、シモの地域区分に応じてまとまった。仲間ごとによく集まる遊び場があった。ただ、久栗坂の中央部を流れる根井川の岸にドバ(土場)があり、広場になっていたので、カミ、ナカ、シモの対抗で兵隊ごっこ、チャンバラをしたという。
 子ども仲間の編成に大人の地縁的まとまりが反映しており、対抗意識も生じていたことがうかがえる。また、仲間内でも長幼の序列によるリーダーの存在が考えられるが、固定的な役割分担というわけでもないようである。「ムラ」の自然を存分に活かした遊びの世界は、現在と比べるとうらやましい限りである。
【民俗部会執筆編集員 古川実】

※『広報あおもり』2002年12月1日号に掲載


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