あおもり今・昔106

衣類を手作りした時代

 戦後50年間の人びとの暮らしの変化は衣生活にもおよび、それが女性の生き方にまで影響を及ぼしてきた。
 青森県内でも特に農山漁村では、戦後しばらく、まだ自給自足に近い生活が続いていた。ほとんどの女性が結婚のために、小学校を終えると、冬期間、村の中で学校の先生の奥さんなどに着物の仕立てを習ったりして、裁縫の技術を身につけた。大野地区の大正中頃生まれの人は、青森の学校に数年通ったという。新制中学校に替わった頃から徐々に洋服で学校に通うようになったが、和裁が必須の技術だった。
手作りの胴着(裏)
▲手作りの胴着(裏)
 家族の衣類は手作りが主体であり、古着や端切れを購入して利用した時代も長かった。戦後物資不足の時代には、大人の着物をほどいて子どものために仕立て直しをした。当然、毎日の女性の手仕事が衣生活を支えていた。日中の仕事の疲れがあっても、夜になって(つくろ)い物や仕立ての針仕事を(しゅうとめ)と一緒に行い、洗濯も手洗いで盆を過ぎれば洗い張りをした。「子どもを持てば、縫い物の腕が良くなる」と言われたり、針仕事の上手な嫁をもてば姑も自慢だったし、裁縫の上手下手が嫁の評価となった。多くの女性にとって農作業などの家の仕事以外に、衣食住に関わる労働に励むことは生きがいでもあった。これらは金銭で計られる仕事ではなかったが、働き者の女性を「稼ぎの良い嫁」と言うように、家庭内の仕事を高く評価する考え方があったと思われる。
 この針仕事は、それぞれの女性の家族に対する愛情や、仕事への理解、おしゃれ心などが具体的に表れるものであった。仕事着に刺し子をして補強したり、激しい労働のため切れやすい部分に縁どりをしたり、前掛けに刺繍(ししゅう)をしておしゃれを競い合ったりした。
 現在、衣類は何でも買えるようになって、女性たちは日常の針仕事に多くの時間を費やす必要はなくなった。
 女性たちが同じ基準で評価された時代は終わり、一人一人個性的な生き方ができるようになった。しかし、衣に関わることが日常生活の重要な部分を占め、針仕事の創意工夫によって家族の結びつきを強めていた暮らしを、振り返ってみることもまた大切ではないだろうか。
【民俗部会調査協力員 長谷川方子】

※『広報あおもり』2002年9月1日号に掲載


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