あおもり今・昔103

ムラのなかの祈り−数珠回し−

 津軽地方の農村を歩いていると、ムラの出入に庚申(こうしん)様や二十三夜(にじゅうさんや)様、地蔵様などとともに百万遍の石塔を目にすることがあります。石塔には、それぞれ建立した年代が刻まれています。青森市史編集委員会民俗部会では、平成11年に横内・荒川地区の民俗調査を実施しました。そこで紀年銘が確認された百万遍には、上野では明治14年銘、八ッ役は昭和3年銘、大別内は明治27年銘のものがありました。また、横内の常福院境内に建てられた百万遍の石塔には万延(まんえん)2年(1861年)の銘がありました。
現在も行われている「数珠回し」
▲現在も行われている「数珠回し」
 百万遍念仏の起こりは、元弘年間(1331年〜1334年)、京都で疫病が流行し、浄土宗本山京都智恩寺八世の善阿上人が勅命を奉じて念仏百万遍を唱えたところ効験(こうけん)があったことが始まりとされています。
 百万遍念仏は、特に疫病退散を願う民衆によって、春・秋の彼岸の季節や疫病がはやり出すと臨時に行なって来ました。
 現在も上野では、彼岸の入り、中日、シメの3回に分けて百万遍を行なっています。この時、大きな数珠を輪にして女性が中心に数珠を回しながら「ナミアミダブツ」を唱えムラを歩きます。大きな数珠の玉が来ると額につけて祈ります。ムラの端には、悪い風邪など入らぬようにと御幣を立てます。また、ムラを巡る時お米とお布施を各戸からいただき、これで赤飯を炊いて、ムラの入り口の石塔のそばに供えたり、また最後の日には集会所に集まり直会をするのもムラ人の楽しみの一つとなっていました。
 戦後、ムラのなかを車が頻繁に走るようになると、百万遍も輪になって回さず首に掛けて回すムラも出てきました。しかし、疫病を恐れ、神仏に祈ることが希薄となった現代においても地域の絆を百万遍の数珠を回すことによって、今なお信仰が継続されています。
【民俗部会執筆編集員 大湯卓二】

※『広報あおもり』2002年6月1日号に掲載


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