あおもり今・昔98

蓮華寺の蛙合戦

 葛西音彌が明治39年(1906年)に編さんした「青森市沿革史」という本があります。その本の天保13年(1842年)6月の項に、「蓮華寺に蛙の合戦あり」という記事があり、本文は難解な文語で書かれているので、口語に直し少し潤色して紹介します。
「このころ、蓮華寺の境内にたくさんの蛙が集まって鳴きたてるのでとても騒がしい。その声は町中に響きわたる程で、それをわざわざ見物にやってくる人もたくさんいた。(たぶん暮六つの鐘(午後6時ころ)がなるころに、)まず番神堂の池からひと一倍大きな蛙がのっそり上がってきて、まるで宣戦布告するかのように、高らかにギャーロギャーロと鳴いた。一方、山門の外の蓮池からも、これまたひときわ図体の大きな蛙が一匹這い出て境内までのこのこ歩き、敵方大将蛙と十分な間合いを取り、やおらにらみ合い、ギャローギャローとどすの効いた太い声で一声上げた。
 この一声を合図に、両方の池から次から次へと、ぞろぞろぞろぞろ、おびただしい数の兵隊蛙が出てきて、互いに負けてはならずと盛んに鳴きたてはじめた。
稲荷様と合祀された番神堂−蓮華寺境内
▲稲荷様と合祀された番神堂−蓮華寺境内
 緒戦は鳴き合いであったが、次第に両軍の戦意は高まり、ついに、激しいつかみ合いや壮絶なかみ合いへと戦況は展開した。そのうちにリタイヤした兵隊蛙、また奮戦力闘の末、討ち死にする兵隊蛙も少なからず出てきた。
 (やがて一時(およそ2時間)もたったろうか。)二匹の大将蛙は一声大きく鳴いて、ここでいったん休戦の宣言をした。すると兵隊蛙たちはそれぞれ負傷したり死んだりした戦友をくわえ、味方の池へ引き帰った。このような大合戦はおよそ一週間ほど続いたが、やがて境内は何事もなかったように元の静けさを取り戻した。」この話は、かつて鍛冶町(かじまち)(現在の橋本一丁目あたり)で米や塩を商っていた京屋の記録とされる「柏原筆記」などをもとに、「青森市沿革史」に収録され、現在に伝えられているものです。ちなみに、番神堂は現在も稲荷様といっしょに境内の一角に祭られています。
 明治のころまで、蓮華寺のまわりにはまだ田んぼがありました。したがって毎年その時期になると、近くの人たちはいやでも蛙の大合唱を聞かされていたはずです。
 ちなみに、「蛙合戦」の話は全国あちこちにあり、生物学ではこれを「蛙の群婚」と説明しているようです(敬称略)。
【近世部会調査協力員 木村愼一】

※『広報あおもり』2002年1月1日号に掲載


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