青森市の市街地から青森空港に向かう途中に高田の集落があり、その入口に「高田城趾」と書かれた標柱が建てられている。高田城跡(趾)は、戦国時代に
その後、江戸時代に入り、浪岡郡代政信の娘が七戸直時に嫁入りする時、土岐氏は付き人として七戸に移り、七戸直時の命により「高田」姓に改めることとなった。そのためか、七戸町で現在「高田」姓を名乗る多くの人たちは、高田城主土岐氏の子孫にあたるといわれている。 また、高田城は、現在標柱が建てられている場所だけが城跡であるかのように思われがちであるが、城域はさらに広く、現在の道路(旧道)も、中世においては道路であるとともに、城下の中軸街路(メーンストリート)でもあったと考えられている。その街路の両側には高田城に伴う「中世の町」も存在していたものと推定される。城跡に残る現在の道路を南におよそ250メートル行くと左に大きく折れ、すぐに右に折れる 戦国時代から、人びとの流れは複雑に交差し、見えない糸によって現在の私たちがつながっていることをあらためて感じさせられる。 【中世部会執筆編集員 小山彦逸】 ※『広報あおもり』2001年10月1日号に掲載 |