あおもり今・昔78

工藤卓爾と「江差新報」(工藤卓爾とその時代−補足)

 「65.工藤卓爾とその時代(上)」で「工藤卓爾が明治27年3月の第3回総選挙で落選した後、北海道江差町(えさしちょう)の新聞社に勤務していた」と述べた。
 その後、江差町を訪れ、かつて江差町史編纂(へんさん)室が収集した明治時代の新聞の中にあった「江差新報」第318号(明治28年9月4日)で、次のことが確認できた。
1 工藤が勤務した新聞社は「鳳鳴社江差新報局」(当時の所在地は江差町中歌町81番地)で、日刊紙「江差新報」を発行していた。同紙の創刊は『江差町史』では明治27年となっている。
2 工藤自身、少なくとも明治28年9月に江差町へ転居し、勤務先の鳳鳴社江差新報局内に居を構えていた。
 江差町では、明治25年ころから新聞が創刊され、明治27年ころには「江差旬報」「江差商況周報」「かもめ」「江鴎(こうおう)新報」「江差新報」などの新聞が発行されていた。中でも江鴎社が発行する江鴎新報と江差新報が有力紙だった。江鴎新報は明らかに自由党系の新聞(例えば、明治27年3月30日の第7号には自由党とその有力者、同党代議士などが発刊に祝辞を寄せている)で、一方江差新報は非自由党系あるいは改進党系として対抗していたと思われる。
 鳳鳴社としては江鴎社に対抗して論陣を張るために、優れた文才を持ち、しかも改進党系代議士を経験するなど当時の政治状況にも明るい工藤を採用したものと考えられる。
 江差新報318号の第一面には「政府と民間執れか先見の明ありしや」と題し、当時の政治・政府を分析・批判する無署名論文が掲載されている。工藤の執筆による確証はないが、当時を伝える貴重な史料であろう。
 なお、江差新報はこの第318号しか発見されていないため、工藤がどのような論陣を張ったかは不明であるが、今後も史料の発掘に努め、工藤の足跡を明らかにしていきたい。 (敬称略)
【近・現代部会長 末永洋一】

※『広報あおもり』2000年10月15日号に掲載


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