あおもり今・昔77

加賀秀雄とその時代

 第12代青森市長加賀秀雄は、大正および昭和初期に青森市政を中心に活躍した政治家である。
 加賀秀雄は、明治15年(1882年)7月に三戸郡五戸村(現在の五戸町)に生まれたが、政治的野心に燃えて、明治43年11月に青森市へ移住し、大正2年(1913年)6月市会議員選挙に出馬し当選した。当時、最年少の市会議員であった。
▼加賀秀雄 
加賀秀雄
「目で見る青森の歴史」より
 大正12年9月には、県会議員(政友会)になり、このときから、加賀の政治的経済的勢力が増大した。青森市消防組頭、青森薪炭会社社長、青森木材株式会社取締役、松木屋株式会社の役員などを兼任し、昭和7年(1932年)には、市議会議長となり、市政界の重鎮であった。
 しかし、加賀自身もこの時期の政界腐敗に巻き込まれた。加賀は、昭和9年8月5日、市議会の市長選挙会で市長に選出されたが、無効投票2票に疑惑が生じ、故意に投票に他事を記入して無効にしたという嫌疑で、立会人柳谷助四郎が告訴されるという事態になった。市議会は、選挙取り消しの意見書を県に提出し、県は取り消しを決定して、小林県知事が斡旋に乗り出した。加賀派と千葉派の妥協が成立し、加賀秀雄が市長、千葉伝蔵が議長となった。
 昭和11年には、市議11人が衆議院議員選挙違反の嫌疑をかけられ、加賀自身も選挙違反で拘引された。結局、彼は昭和11年4月19日、辞表を提出せざるを得なくなった。2・26事件から2か月後のことであった。
 その後、青森庶民信用組合に関係したが、昭和20年8月1日に64歳で死去した。 (敬称略)
【近・現代部会執筆編集員 村松恵二】

※『広報あおもり』2000年10月1日号に掲載


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