あおもり今・昔47−自然よもやま話−

青森昆虫 研究事始め

 青森市民で、最初に科学的に昆虫を研究したのは誰であろうか。
 それは明治33年(1900年)に石江に設立された県農事試験場で害虫研究に従事した人であろう。
 最初の害虫掛(係)は、明治37年に赴任した新渡戸稲雄(十和田市開祖新渡戸伝の孫で5千円札の新渡戸稲造の甥)である(着任年には異説あり)。
 新渡戸は主にリンゴの害虫研究に従事した。当時はリンゴ栽培の病害虫恐慌時代であった。リンゴ果実に幼虫が食入してしまうシンクイガ類の産卵を避けるために、袋をかける方法を考案したのも新渡戸であるとされる。
リンゴクロメクラガメ ♀
▲リンゴクロメクラガメ ♀
 新渡戸が新種として報告したリンゴクロメクラガメというカメムシは、若い果実から汁を吸い、被害を受けた果実が変形・落果する大害虫であった。しかし、その後の農薬の使用によって激減し、現在では北海道大学に標本2点が残っているのみである。
 新渡戸は害虫以外の昆虫にも関心を寄せ、東北帝国大学農科大学(現北海道大学)松村松年教授の元に多くの標本を送り、研究を依頼した。
 ニトベの名前を学名や和名に持つ昆虫は1ダースほどある。新渡戸は明治39年、請われて台湾総督府農事試験場に移る。
 新渡戸の後には三橋信治(明治40〜41年)、棟方哲三(明治42〜44年)が着任し、昆虫学史上重要な業績を残すとともに、新種の昆虫にもその名を留めている。
 この後、大正2年に県農事試験場は黒石に移転する。現在の県農業試験場である。
【自然部会執筆編集員 市田忠夫】

※『広報あおもり』1999年7月1日号に掲載


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