あおもり今・昔43−自然よもやま話−

青森にもあった火砕流

 1990年、長崎県の雲仙普賢岳(ふげんだけ)は198年ぶりに噴火し、翌年には43人の犠牲者を出す痛ましい災害が起きた。
 このとき一般に知られるようになった言葉に「火砕流」がある。
 火山の噴火は、地下のマグマの活動によって溶岩(液体)・火山灰(固体)・火山ガス(気体)などが地上に噴出する現象である。火砕流は火山ガスや火山灰などが混じった高温の物質が高速で流れ、大規模な場合は巨大な凹地が生じ、十和田湖のような大きな湖(カルデラ湖)になることがある。
市街地から見た八甲田
▲市街地から見た八甲田
 青森市の秀峰八甲田山の形成以前、田代平付近には大きな火山があった。この火山はおよそ65万年前と40万年前に大規模な噴火を起こし、大量の火砕流が発生した。
 火砕流は周囲の山々を埋めながら流れ、青森平野にも流れ込んでいった。平野周辺の月見野〜幸畑〜高田にかけて見られる平坦な地形は、この時にできたものであり、現在私たちは駒込川、荒川などでその時の堆積物を見ることができる。
 駒込川や荒川の中流のV字型の河岸は大半が火砕流堆積物で構成されており、その厚さは200メートルに及ぶ。雲仙普賢岳の堆積物の厚さが最大でも数メートルであるのと比較すると田代平付近で起きた噴火の規模は想像を超えるものである。
 数十万年前に人類が生活していたという記録はないが、当時の動植物は全滅状態になったと考えられる。
 2回の火山活動の後、田代平付近は巨大な湖になって湖底には植物の葉を含んだ泥や砂が堆積した。田代平を流れる駒込川の河岸では湖底の堆積物や当時の自然環境を推定できる植物化石も見ることができる。
 このような活動をした火山は十和田湖、洞爺湖、支笏湖など全国にたくさんあるが、活動の周期が非常に長いため、青森市の周囲で火山活動の影響について心配する必要はないだろう。
【自然部会執筆編集員 工藤一彌(ただひろ)

※『広報あおもり』1999年5月1日号に掲載


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