あおもり今・昔36

平安時代の土器 擦文土器

 本市の平安時代の遺跡から出土する遺物は、土器類が大半を占める。その土器類には、土師器(はじき)須恵器(すえき)、擦文土器の3種類があるが、ここでは、擦文土器について述べることとする。
 擦文土器は、7世紀末〜8世紀初頭ころまで北海道でつくられていた続縄文(ぞくじょうもん)土器が、律令(りつりょう)国家の北進に伴って北上した土師器の影響を受けて誕生したと言われている。
青森市内から出土した擦文土器
▲青森市内から出土した擦文土器
 この土器は、8世紀末〜9世紀前半ころに北海道全域の遺跡に分布し、本県では9世紀〜11世紀ころの遺跡から発見されている。
 擦文土器の表面には、刷毛目(はけめ)状の擦痕(さつこん)という器面調整の痕が認められ、こうした刷毛目状の擦痕が、擦文の語源になっている。この擦文には、さらに沈線による平行線・斜線・各種の列点文・貼付文(はりつけもん)などを組み合わせた幾何学的な文様を施したものがあり、これを擦文土器の中でも、特に刻文(こくもん)土器と呼んでいる。
 本州あるいは市内から出土する擦文土器は、北海道と異なり、土師器が主で、これに若干の擦文土器を伴うのが一般的である。
 本市において擦文土器は、内真部、油川城址、小三内、三内丸山、三内、沢田、築木館(つきのきだて)などの各遺跡から発見されている。
【考古部会執筆編集員 北林八洲晴】

※『広報あおもり』1999年1月15日号に掲載


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