あおもり今・昔35

平安時代の墓

 平安時代の墓が青森市内にあったかどうかは、長い間謎であった。
 最近、市街地の南方にある斎場の背後に位置する新町野遺跡から、墓と考えられる遺構(施設)が標高40メートル弱の見晴らしのよい丘陵頂部付近で10基ほど発見された。
 この遺構は、現在、円形周溝(えんけいしゅうこう)と呼ばれており、関東地方南部以西において弥生時代からつくられていた周溝墓によく似ていることに由来する。
 新町野遺跡から発見された円形周溝は、遺構の外郭を円形状に掘って、溝から出た土を溝の内側(内郭)に古墳状に盛り上げたものである。
新町野遺跡出土の円形周溝
▲新町野遺跡出土の円形周溝
 県内でこれまでに30遺跡から約250基の円形・方形周溝が確認されているが、周溝で区画された部分の内側に盛土が確認された例は極めて少ない。新町野遺跡では、埋葬施設(主体部)は発見されなかったが、盛土が残っていたものがある。また、主体部がつくられたと考えられる位置からはずれていたが、盛土下部の地山から隅丸(すみまる)長方形の土坑(どこう)(穴)が発見されている。
 周溝の規模は外径7.0〜15.5メートル、溝幅0.4〜1.0メートル、溝の深さ0.2〜1.1メートル、盛土の高さ0.1〜0.3メートルほどである。溝の南東方向には溝が途切れた部分(開口部)がある。溝の堆積(たいせき)土からは故意に底部を穿孔(せんこう)した(穴をあけた)坏形(つきがた)土器、壊れた土器や鉄器が発見されている。
 また、10世紀初頭の噴火と言われている白頭山(はくとうさん)(北朝鮮)火山灰・苫小牧(とまこまい)(北海道)火山灰が自然堆積していたことから、円形周溝は平安時代の墓の遺構ではなかったかと考えられている。
【考古部会執筆編集員 北林八洲晴(やすはる)

※『広報あおもり』1999年1月1日号に掲載


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