あおもり今・昔23

縄文時代前期・中期のあおもり

 縄文時代前期中ごろから中期中ごろ(約5千500年〜4千年前)にかけて、東北北部から北海道南部では「円筒土器文化」が繁栄した。この時代にはバケツを上下に引っ張ったような、細長い筒型の土器がたくさん作られたことからその名が付けられている。
 青森市内にも、前期の熊沢遺跡、水天宮遺跡をはじめとして、中期の近野遺跡、三内沢部遺跡、三内遺跡、蛍沢遺跡、そして前期から中期にかけての拠点的大集落である三内丸山遺跡など、円筒土器文化期の遺跡が多数あることが知られている。
熊沢遺跡での発掘作業風景
▲熊沢遺跡での発掘作業風景
 熊沢遺跡は東北自動車道青森インターチェンジ近くの沖館川左岸、標高約50メートルの丘陵に所在している。高速道路建設に先立ち、昭和51年に発掘調査が行われ、竪穴住居跡14棟、お墓と考えられる土抗30基のほか、炉跡や捨て場が見つかっている。捨て場からは、大量の土器や石器、珍しい岩偶などが出土している。
 三内丸山遺跡は、県営野球場建設に先立ち平成4年から発掘調査が行われている。それまでは中期の集落遺跡であることは分かっていたが、この調査で前期からすでに大規模な集落が営まれていたことが初めて明らかにされた。主な遺構として、竪穴住居跡・大型住居跡・貯蔵穴・墓・捨て場などが見つかっている。特に捨て場からは、動物や魚の骨・植物の種子・花粉・昆虫・寄生虫卵などが出土しており、それらは当時の生活の様子や環境を考える上で貴重な資料である。そして、中期になると集落は最も繁栄する時代を迎える。
【考古部会執筆編集員 岡田康博】

※『広報あおもり』1998年7月1日号に掲載


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