あおもり今・昔21

縄文時代早期のムラ

 縄文時代早期は、今から約9千年から6千年前で、三内丸山遺跡が存在する以前の時期に相当する。
 当時の自然環境は、気温が高く、海水面は上昇しており、現在私たちの多くが住んでいる青森平野は、水面下であったと考えられている。
 さて、縄文時代早期のムラの構造であるが、人々は竪穴住居に居住しており、その形は円形・方形で、長軸は約3〜4メートルの大きさであった。柱は住居の長軸に沿った2本の柱で構成され、住居の中に炉は設置されていなかった。そのため、当時の調理については、屋外で行われていたものと考えられている。
▼魚を捕獲している縄文人(想像図)
魚を捕獲している縄文人(想像図)
▲写真提供:県立郷土館
 また、各地で10メートル以上の大型住居(共同作業場・集会所)も発見されているが、これまでは縄文時代早期のムラは、狩猟・漁労の場を求めて頻繁に移動していたものと考えられていた。しかし、最近の発掘調査例から、現在では当時の人々は一定期間定住していたことが明らかになってきている。
 さらに、縄文時代早期の遺跡からは、動物の骨で作った骨角器(銛頭(もりがしら)・釣針)や、網のおもり(石錘(せきすい))などが多く出土し、貝の採集や魚類の捕獲が活発に行われていたことが分かっている。
 これらのことから、縄文時代早期は、食生活に変化が見られ、漁労文化と呼ばれてもいいほど海に依存していた時期といえよう。
 次回は、縄文時代早期の青森市はどのようであったのかを述べてみたいと思う。
【考古部会執筆編集員 成田滋彦】

※『広報あおもり』1998年6月1日号に掲載


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