晩氷期から、やや温暖になった後氷期の約1万3千年前ころの青森は、十和田カルデラ湖誕生の火山噴火が起こり、周辺は数十キロメートルにわたり大火砕流に覆われた。
このころ、人々は粘土と水を混ぜて容器の形を作り、火で焼いて「土器」を作ることに成功し、それによって食物の煮炊きが可能になり、人々の食生活が衛生的で栄養豊富な多様な食文化へと発展した。
▼六ヶ所村表館(1)遺跡出土 |
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▲隆帯文土器・・・高さ30.5cm、口径22cm(県立郷土館蔵) |
また、狩猟具では、それまでの大型尖頭器(や石槍(に加え、小型の有舌尖頭器(や石鏃(を利用した弓矢も考案され、狩猟技術が進展した。
日本で最古の土器は縄文時代草創期((約1万3千年前〜9千年前)に出現した。形は平底の尖底(深鉢形土器で、紋様は無文(、豆粒文(、隆帯文(、爪形文(、多縄文(土器などがある。
本県での出土例は、無文土器が蟹田町の大平山元(遺跡で、隆帯文土器が六ヶ所村の発茶沢(遺跡・表館((1)遺跡でそれぞれ発見されている。また、有舌尖頭器(石器)は、陸奥湾湾口の佐井村長後(沖4キロメートルで水深150メートルの海底から発見されている。縄文時代早期(約9千年前〜6千年前)になると気候の温暖化がさらに進み、海水面が上昇し内陸部に海水が流入して「縄文海進」が始まり、青い陸奥湾も拡大した。また、対馬暖流は日本海側に豪雪をもたらし、針葉樹で覆われていた森は北方へ後退し、それに代わってブナやミズナラなどの落葉広葉樹が広がり、縄文文化発展の土壌が完成したのである。
【考古部会長 市川金丸】
※『広報あおもり』1998年5月15日号に掲載
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