あおもり今・昔20

縄文時代の始まり

 晩氷期から、やや温暖になった後氷期の約1万3千年前ころの青森は、十和田カルデラ湖誕生の火山噴火が起こり、周辺は数十キロメートルにわたり大火砕流(かさいりゅう)に覆われた。
 このころ、人々は粘土と水を混ぜて容器の形を作り、火で焼いて「土器」を作ることに成功し、それによって食物の煮炊きが可能になり、人々の食生活が衛生的で栄養豊富な多様な食文化へと発展した。
▼六ヶ所村表館(1)遺跡出土
隆帯文土器
▲隆帯文土器・・・高さ30.5cm、口径22cm(県立郷土館蔵)
 また、狩猟具では、それまでの大型尖頭器(せんとうき)石槍(せきそう)に加え、小型の有舌尖頭器(ゆうぜつせんとうき)石鏃(せきぞく)を利用した弓矢も考案され、狩猟技術が進展した。
 日本で最古の土器は縄文時代草創期(そうそうき)(約1万3千年前〜9千年前)に出現した。形は平底の尖底(せんてい)深鉢形土器で、紋様は無文(むもん)豆粒文(とうりゅうもん)隆帯文(りゅうたいもん)爪形文(つめがたもん)多縄文(たじょうもん)土器などがある。
 本県での出土例は、無文土器が蟹田町の大平山元(おおだいやまもと)遺跡で、隆帯文土器が六ヶ所村の発茶沢(はっちゃざわ)遺跡・表館(おもてだて)(1)遺跡でそれぞれ発見されている。また、有舌尖頭器(石器)は、陸奥湾湾口の佐井村長後(ちょうご)沖4キロメートルで水深150メートルの海底から発見されている。縄文時代早期(約9千年前〜6千年前)になると気候の温暖化がさらに進み、海水面が上昇し内陸部に海水が流入して「縄文海進」が始まり、青い陸奥湾も拡大した。また、対馬暖流は日本海側に豪雪をもたらし、針葉樹で覆われていた森は北方へ後退し、それに代わってブナやミズナラなどの落葉広葉樹が広がり、縄文文化発展の土壌が完成したのである。
【考古部会長 市川金丸】

※『広報あおもり』1998年5月15日号に掲載


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