あおもり今・昔16

新青森市史の編さんにご協力を

 民俗部会が担当してきたこの連載も、今回で終わりを迎えた。これまで思いつくままに書いてきたが、終わりになってみると、まだ書き足りないこと、書いておくべきことの多いことに改めて気付いている。以下それらを列記してみた。
 「イタリア館」・「大東缶詰工場」・「東洋製缶工場」のこと、「文化村(松森福田)」のこと、「雲雀(うんじゃく)牧場(田村牧場)」のこと、約200年かけて改良した金魚「津軽錦」と「金魚ねぶた」のこと、「青森凧」のこと、「化人(ばけと)」と「花柳界」のこと、合浦公園にあった「招魂堂」のこと、月見野にあった「日輪兵舎」と「玉清水」のこと、「青森競馬場(佃−幸畑)」と「県営野球場」のこと、小正月の風情をもった「セキジロ」のこと、「花火工場」・「せっけん工場」・「マッチ工場」のこと、「和菓子の木型」のこと、NHK青森放送局開局後「花園町」ができたこと、「浦部劇場と錦座」のこと・・・などと数え上げれば多くのことがある。そしてそれらはすべて、そのころの青森の『市民生活史』とも言えるものである。
▼写真2点:青森市発行「目で見る青森の歴史」より
ジョセップ・ファブリーかん詰め工場とイタリア館(大正5年) 合浦公園にあった招魂堂
▲ジョセップ・ファブリーかん詰め工場とイタリア館(大正5年) ▲合浦公園にあった招魂堂
 青森市は戦災で多くの資料が焼失し、また周辺町村との合併時にも資料が紛失したこともあって、まさに資料不足と言えよう。
 今後、「新青森市史」を編さんしていく上で、市民の多くのご協力が、それを補完してくれることを念じている。
【民俗部会調査協力員 三上強二】

※『広報あおもり』1998年3月15日号に掲載


前のページへ あおもり今・昔インデックスへ 次のページへ