約300年続いた幕藩体制が崩れて県が置かれるようになったのは、明治4年であった。その後の青森の変遷を事始め的に記してみたい。
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本県で最初に「県」が置かれたのは、明治4年7月の、弘前・八戸・斗南・黒石・館(北海道松前)を合併した「弘前県」であった。そして同年9月に弘前県庁を青森に移し「青森県」と改められ、12月開庁式が挙行された
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明治12年、道路標識となる「里程基点(道路元標)標示」が善知鳥神社前に建てられた
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明治15年、フランス人フォーリーが浜町に天主公教会を開設
▼明治24年の青森停車場
▲青森市発行「目で見る青森の歴史」より
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明治17年、日本メソジスト青森教会(塩町)創立
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明治21年、東奥日報社創立
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明治24年、東北線の開通によって青森停車場を安方に設置
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明治25年、青森町役場落成(新浜町)
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明治29年、県内初の青森電灯株式会社(火力)創業
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明治31年4月1日、青森市制施行
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明治40年、青森市水道起工式(横内にて/完成42年12月)
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明治41年、青函航路に青函連絡船が就航
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大正15年、青森市営自動車営業開始/青森〜函館間に電話が開通
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昭和8年、油川飛行場開設
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昭和16年、NHK青森放送局開局(花園町)
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昭和20年7月28日夜、青森空襲(市内の約90パーセント焼失)/8月15日に終戦
・・・となって、その後、復興に向けて進んでいき、現在の青森となった。
これらを列記してみると、市民一人ひとりがそれぞれにまつわる思い出があろうかと思うし、それらに関する資料を保存している人もいるかと思われる。
この機会に、市民の皆さんから情報を寄せてくださることを期待したい。
【民俗部会調査協力員 三上強二】
※『広報あおもり』1998年3月1日号に掲載