「ねぶた」はもともと盆の先祖供養に関連して始められ、その後に七夕行事が加えられたものである。津軽の領土領有の承認のことで藩祖津軽
また京都では当時の 青森の「ねぶた」、弘前の「ねぷた」と名称が区分されたのは昭和26年ころからのことで、それまではどちらの名称も使われていた。また、型も古くは人形型(組みねぶた)が多くみられたが、明治の中ころから弘前の扇型(絵を鑑賞)、青森の人形型(造型を鑑賞)となってきた。 また囃子は岩木山の登拝の際の囃子からアレンジされたもので、弘前では登山囃子(テンポがゆるい)、青森では下山囃子(テンポが早い)からとされている。 そして登拝を終えての歓びを表したリズムとそれにのっての踊り(跳ねる)によって、実りを待つ人々の歓びを表現したものである。 【民俗部会調査協力員 三上強二】 ※『広報あおもり』1998年1月15日号に掲載 |