最近、開発事業の進展もあってか、宅地の造成が盛んで新しい居住区が増えている。そして、そこには新しい町名が付けられ、同じ青森市に住んでいてもその町がどこにあるのか分からなくなっている。 “町名”というものは、本来いろいろな意味を持っていることが多い。以前、青森の町名は、それぞれ特徴的な・・・いわばその町の性格を物語るようなものがあった。
また、開発された時代を表したものに、大正町・昭和町があり、地域の特性を表したものとして安方町(安潟)・浜町・堤町・浦町(裏町)や、通り名として夜店通り・藤田組通り・旧線路通り・税務署通り・浦町駅通りなどがあった。 これらとは別に、かつては堤川以東は造道村であったのに、ただ1箇所だけ栄町ができた。これは版籍奉還後(明治2年)、士族に対して青森への移住を奨励したため、その移住先として開発されたのが栄町であり、その町名は、その土地の発展を表したものだった。 最近市内に旧町名の標識が設けられその由来が記されているが、それは青森に住む私たちに歴史と郷愁をもたらしてくれる。このことからも、歴史を記録することの大切さが実感される。 【民俗部会調査協力員 三上強二】 ※『広報あおもり』1997年10月1日号に掲載 |