あおもり今・昔1

青森と蓑虫山人

 このところ、三内丸山の遺跡を中心に青森市内にある遺跡が、大きな話題と関心を集めている。このことで縄文期の暮らしと文化が解明されることが期待される。
 本県の縄文文化については早くから亀ヶ岡遺跡によって知られているが、このことと、そして青森市にとって忘れられてはならないのが蓑虫山人(みのむしさんじん)土岐源吾(ときげんご))のことであろう。
 蓑虫山人が故郷美濃国(現・岐阜県)を出て全国を巡り、文物・景勝を探査し、青森市に来たのが明治12年であった。その滞在中に当時の青森の風物を30点ばかり絵によって記録しているが、これは現在、当時を知る貴重な資料となっている。
▼蓑虫山人作「青森浜町の風景」
蓑虫山人作「青森浜町の風景」
▲青森市発行「目で見る青森の歴史」より
 ちょうどその頃、青森に公園を造設する動きが水原衛作(みずはらえいさく)によって進められていたが、その際に諸国を探訪した蓑虫山人が意見を求められた。水原の案では海辺に公園をというものであったが、蓑虫は青森の地勢を生かしたものとして新城地区の起伏と点在する沼を取り入れたものとする案で両者の議論がなされた結果、水原案となったわけである。
 蓑虫は、明治20年に自費で亀ヶ岡遺跡の発掘を行い、その状況を東京人類学会の会誌に発表しているが、これが本県縄文文化を世に紹介した最初のものとなっている。また明治19年には始めて十和田湖を訪れ、それをも紹介している。蓑虫はこの他に本県に約10年余滞在中に、主に津軽地域を歩いて多くの絵日記や絵記録を遺している。
 このような先人の足跡や業績を探ることによって、郷土発掘の一助となるであろう。
【民俗部会調査協力員 三上強二】

※『広報あおもり』1997年8月1日号に掲載


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